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ファースト・アルバム『VISAGE』は81年1月に発売された。こちらも全英チャートの13位まで上がるヒットとなり、ヴィサージの地位は確固たるもののように思えた。
通常のバンドであれば、次はライヴ、ツアー活動で地歩を固めるところだが、あくまでレコーディングのためのプロジェクトであるヴィサージの場合はちがう。ライヴやツアーに代わって、ヴィサージがとったプロモーションの手段は映像だった。
アルバムからは、先行シングルの「FADE TO GREY」を含めて「MIND OF A TOY」、「VISAGE」の計3種のシングルがカットされたが、そのいずれにもプロモーション・ヴィデオが制作された。そのうち「FADE TO GREY」と「MIND OF A TOY」のディレクターに選ばれたのは10CCのゴドレー・アンド・クレイム。MTV時代初期の名ディレクターだ。ヴィサージは、フロントマンのスティーヴ・ストレンジのキャラクターのみを前面に出し、他の(音楽的な)メンバーは匿名的なポジションに隠れるという露出の仕方を選んだ(実際、ストレンジ以外のメンバーが写ったヴィサージのアーティスト写真は極めて少ない。その数少ないもののうちのひとつがこれ)ため、プロモーション・ヴィデオに登場するのもストレンジひとりだ。なにしろああいう衣装やメイクが売りのひとつであるストレンジだから、プロモーション・ヴィデオを作るにしても、よほど自覚的に作らないとファン以外には失笑ものの自己陶酔的な耽美主義に陥りやすい。
その点、ゴドレー・アンド・クレイムのディレクションは当を得ていた。3種のプロモ・ヴィデオのどれもが「華麗な」ファッションとメイクをフィーチュアしたストレンジが登場するが、それを捉えるカメラの視線は客観的なもので、陶酔している(ように見える)ストレンジをどこか揶揄するかのようなユーモアがある。なかでも「MIND OF A TOY」はストレンジをシュールなセット、演出の中に配置させ、過剰なメイクやファッションを決めた人間の、外部から見た滑稽さを強調しているような感がある。このヴィデオはMTV黎明期の傑作クリップのひとつになり、監督のゴドレー・アンド・クレイムの名をなさしめる一本ともなった。
そのヴィデオにも助けられたか、「MIND OF A TOY」のシングルはやはり全英チャートの13位まで上がるヒットとなった。そして、この頃にはヨーロッパのみならずアメリカや日本でもヴィサージの名前が浸透しはじめる。ヴィサージがなかでも力を入れたのはアメリカでのプロモーションで、イギリスでの「MIND OF A TOY」のシングル発売後、ストレンジはニューヨークに趣き、積極的にメディアへの露出を続けた。
MIND OF A TOY (7") (12")

MIND OF A TOY
WE MOVE
MIND OF A TOY(DANCE MIX)
WE MOVE(DANCE MIX)
FREQUENCY 7(DANCE MIX)

とりあえずニュー・ロマンティック・ムーヴメントとは無縁のアメリカでは、ヴィサージは新種のディスコ・ミュージックとして認知され、アルバム『VISAGE』とは別にディスコ向けのトラック(とアメリカのポリドールが判断した)5曲を収録した独自の編集ミニ・アルバムもリリースされている。
日本ではなによりYMOとの類似性が話題になった。中でもアルバム収録曲の「MOON OVER MOSCOW」は、シンセ、コンピューターを使用したキャッチーなインストであること、ヴォコーダーの使用があいまって“英国から登場したYMOのコピー・バンド”的な紹介もされ、同曲は「モスクワの月」という邦題で日本のみのシングル・カット曲となった。
US 5 track EP WE MOVE(DANCE MIX) MOON OVER MOSCOW(JAPAN) MOON OVER MOSCOW
FREQUENCY 7(DANCE MIX)
BLOCKS ON BLOCKS
FADE TO GREY(DANCE MIX)
TAR
WE MOVE

こうした海外での動きと比較すると、イギリス国内でのヴィサージはやはりニュー・ロマンティック・ムーヴメントの旗手としてその動向が注目された。
ストレンジとイーガンは、ブリッツのほか、「クラブ・フォー・ヒーローズ」というパーティー(DJイヴェント)をヴィクトリアにあるライヴ・ハウス、ヴェニューなどで定期的に開催し、このような特定の場所を決めない形式のパーティーは、その後レイヴと名を変えてイギリス、ヨーロッパに広まっていった。
また、自身のシングルにクラブ向けのダンス・ミックスを収録することにも常に積極的だった。「MIND OF A TOY」の12インチ・シングルには、表題曲のダンス・ミックスのほか、7インチB面に収録の「WE MOVE」(ボウイの「FAME」のヴィサージ流解釈)のダンス・ミックス、そしてシングル「TAR」のB面だった「FREQUENCY 7」のダンス・ミックスが収録された。
これらの中で注目すべきなのは「FREQUENCY 7」のダンス・ミックスだろう。オリジナル・ヴァージョンにあったラップを抜き、リズムはさらに強化されてシンセSEも強迫的に暴走するこのヴァージョンは、エレクトロニク・ファンクと表現するのがふさわしい特筆すべきヴァージョンだ。このダンス・ミックス版「FREQUENCY 7」の成功が、次作『THE ANVIL』に繋がっていく。
ファースト・アルバムからの最後のシングル・カット曲は「VISAGE」。81年6月のリリースで、これはさすがにチャートの21位と、それまでのシングルにくらべるとふるわなかった。12インチには、やはり表題曲のダンス・ミックスが収録され、B面には未発表曲の「SECOND STEPS」が配されている。7インチは「VISAGE」のシングル用ミックスと「SECOND STEPS」の編集ヴァージョンを収録しているが、この「VISAGE」の7インチ・シングルはジャケットが3種類用意され、ファンはどれでも好きなアート・ワークのジャケットを選ぶことができた。また、「VISAGE」のプロモ・ヴィデオをミッジ・ユーロとウルトラヴォックスでの同僚、クリス・クロスがディレクションしたことも話題となった。




これらのシングル・リリースを除くと、81年のヴィサージはとりたて目立った活動を行わなかった。ユーロとカーリーは大ブレイクを果たしたウルトラヴォックスの活動にかかりきりだったし、ストレンジとイーガンはクラブ・フォー・ヒーローズとブリッツのオーガナイズに忙殺されていたからだ。
そんな彼らが再びヴィサージのレコーディングのために集まったのは81年も後半にさしかかった頃だ。メンバーは前作に参加していたメンツからジョン・マクガフとリチャード・バージェスが欠けたもの。マクガフの場合は本業のバンシーズの活動のためだが、バージェスの場合はユーロらの意向によるものだった。彼らはセカンド・アルバムをファーストのような、コンピューターを多用したアルバムではなく、もっとシンプルな作品とすることを決めていた。そうした方向転換もあってか、トライデント・スタジオでのレコーディングは難航し、82年1月にリリースする予定だったニューアルバムは2か月の延期を余儀なくされた。
それでも、82年の1月にはレコーディングも終わり、まず、3月、シングル「THE DAMNED DON'T CRY」がリリースされる。ミディアム・テンポの美しいバラードである同曲は「FADE TO GREY」路線の曲だが、「FADE TO GREY」がシンセサイザーが前面に出ていたのにくらべ、こちらはミニマルな生ピアノのフレーズに代表される、生楽器の多用が目立つ曲となっている。そのため、同じような美しいバラードではあっても、カラフルでポップな印象が強かった「FADE TO GREY」と比較すると「THE DAMNED DON'T CRY」はダークで重い印象をリスナーに与える。シングルのジャケットもそのイメージに即したものだ。パリの古風なディスコ、ル・パラスで撮影されたモノクロの写真を使用し、その撮影はフェティッシュなモノクロ写真を得意とする写真家、ヘルムート・ニュートンによるもの。このシングルからしばらくヴィサージはモノクロームのダークなイメージを演出していくことになる。前シングルから引き続き担当したユーロとクリスによるプロモーション・ヴィデオもまたダークで重い作風となっている。
シングルの収録曲は、7インチが表題曲とアルバム未収録のインスト「MOTIVATION」、12インチは表題曲のダンス・ミックスと同じく「MOTIVATION」というカップリング。
THE DAMNED DON'T CRY-UK 7"- THE DAMNED DON'T CRY THE DAMNED DON'T CRY-UK 12"- THE DAMNED DON'T CRY(DANCE MIX) THE DAMNED DON'T CRY-JAPAN 7"- THE DAMNED DON'T CRY THE DAMNED DON'T CRY-US PROMO 12"- THE DAMNED DON'T CRY(DANCE MIX)


MOTIVATION
MOTIVATION


MOTIVATION
THE HORSEMAN
NIGHT TRAIN
アルバム『THE ANVIL』は「THE DAMNED DON'T CRY」のリリース直後に発売された。このアルバムにファンは大きな衝撃を受ける。「THE DAMNED DON'T CRY」ですでにヴィサージの変身は明らかだったのだが、アルバムはそれをさらに押し進めたものだった。「THE DAMNED DON'T CRY」から始まるA面は、どの曲もほぼ同テンポのシンセ・ベースが連続していくエレクトロ・ファンク・メドレーで、これでもかというぐらいにぎやかなシンセSEやキャッチーなメロディが詰め込まれていたファースト・アルバムとくらべると、隙間の多い、そして暗い曲が続いていく。また、このA面はあえて4曲しか収録せず、そのぶん溝をゆったりと取ってクラブでのDJプレイへの利便性を高めている。
B面に入ると、「THE HORSEMAN」や「AGAIN WE LOVE」などやや叙情的な、メロディー重視の曲が増えるが、それらも決してポップな印象は与えない。そして最後は重いパーカッションが連打される「WILD LIFE」とアンビエントなチル・アウト「WHISPERS」でアルバムは幕を閉じる。前作からのあまりの変わりように発表直後は決して評価は高くなかったが、時を経るにしたがって主にクラブ・ミュージックのファンからこのアルバムの再評価の声が高くなっていく。
アルバムからのシングル・カットは6月にリリースされた「NIGHT TRAIN」だ。ヴィサージが初めてホーン・セクションを導入したファンク色の強いナンバーで、7インチ、12インチ、それぞれにアメリカから招聘したダンス・ミュージックのオーソリティー、ジョン・ラルゴによるリミックスを収録している。特に12インチに収録されたダンス・ミックスとダブ・ミックスは、これまでヴィサージが制作してきた各ダンス・ミックスよりもさらに大胆なリミックスが行われており、クラブでの人気が高い1曲となった。また、7インチ、12インチともにアルバム未収録曲の「I'M STILL SERCHING」を収録。7インチ・シングルはピクチャー・ディスクでもリリースされている。ヴィデオ・クリップのディレクションは引き続きユーロとクロスが担当。また、このシングルのプロモーションのために、ヴィサージは初めてヴィサージとして音楽番組に出演し、「NIGHT TRAIN」を演奏(たぶん演奏の当てぶり)したらしいが、ストレンジ以外のメンバーの誰が出演したかなどの詳細は不明である。