ウルトラヴォックス、激動の年の始まりだ。
 バンドの新しい方向性とファンの期待とのギャップに苦しむフォックスは、ひとつの賭けに出る。
 ウルトラヴォックス初のアメリカ・ツアーを計画したのだ。「ウルトラヴォックス=パンク」という英国でのステレオタイプなイメージとは無縁の新天地。フォックスには、アメリカでなら現在のウルトラヴォックスの音楽をあるがままに受け入れてもらえるのではないかという期待があった。
 3月、彼らは初めての、そしてフォックスには最後となるアメリカ・ツアーを敢行した。

LIVE IN USA 1979 RADIO BEACH
(FAN MADE CD-R BOOT)
THE MAN WHO DIES EVERYDAY
SLIP AWAY
SLOW MOTION
HIROSHIMA MON AMOUR
TOUCH AND GO
ARTIFICIAL LIFE
JUST FOR A MOMENT
HE'S LIQUID
QUIET MEN
RADIO BEACH
I CAN'T STAY LONG
SOMEONE ELSES CLOTHES
ROCKWROCK
MY SEX
( DETROIT 8 MARCH 1979)
LIVE IN USA 1979 TOUCH AND GO
(FAN MADE CD-R BOOT)

SLOW MOTION
HIROSHIMA MON AMOUR
TOUCH AND GO
ARTIFICIAL LIFE
JUST FOR A MOMENT
HE'S LIQUID
QUIET MEN
BLUE LIGHT
ROCKWROCK
MY SEX
(BOSTON 3, MARCH 1979)

QUARKS
MODERN LOVE
(FROM "QUARKS" SINGLE)

THE MAN WHO DIES EVERYDAY
THE WILD, BEAUTIFUL AND THE DAMNED
YOUNG SAVAGE
MY SEX
(FROM "RETRO" LIVE EP)

HIROSHIMA MON AMOUR
(SINGLE VERSION)


 だが、そこで彼らを待っていたものはウルトラヴォックスにパンキッシュなサウンドだけを求める観客たちだった。本国イギリスと状況はまったく変わらなかったのである。
「“ROCKWROCK”をやれ!」「“ROCKWROCK”はどうした!」
 アルバム『SYSTEMS OF ROMANCE』の曲や、78年末の英国ツアーから演奏しはじめた新曲への反応は鈍かった。曲間、そして曲中にも、ついに最初から最後まで観客たちは「ROCKWROCK」や「YOUNG SAVAGE」を求めて叫び続け、「JUST FOR A MOMENT」や「HE'S LIQUID」の情緒は、無遠慮な観客の叫びによって崩壊することもめずらしくなかった。


 このアメリカ・ツアーは、デトロイトとボストンの音源を確認したが、オーディエンス録音であるデトロイト公演の雰囲気はとくに無残だ。落ち着いた曲、静かな曲になると、とたんに誰もが騒ぎ出す。中にはステージに向かって罵声を浴びせる者もいる。
 大学町のボストンでの公演はFM放送音源ということもあって、演奏中の客席の音は収録されていないが、それでも曲間にはやはり「ROCKWROCK」を求める声が噴出している。
 ファックスの、アメリカに対する希望は打ち砕かれた。
 彼のウルトラヴォックス脱退に関しては、他のメンバーとの軋轢などもあるにはあったのだろうが、なによりも観客への失望が大きかったはずだ。ウルトラヴォックスでいる限り、パンク以外の音楽をやっても受け入れられない。ならばウルトラヴォックスではなく新しいバンド、いや、いっそソロとしていまやっている方向性の音楽をやればなんの先入観もなく受け入れてもらえるのではないか。このような判断があったのだろう。それはこの年のアメリカ・ツアーに対する幻想と同じ、一種のリセット願望で、実際はウルトラヴォックスのままでも新しい音楽を打ち出すことが可能だったことはこの後のバンドの成功を見れば明らかなのだが、フォックスがバンド脱退を決断するほどに精神的に追い詰められていたのは確かだ。そして、このアメリカ・ツアーの現実がついにそれを決断させることになる。

 

 

 デトロイトとボストン公演では、先年から演奏されはじめた「HE'S LIQUID」に加え、さらに2曲の新曲が披露されている。1曲は「TOUCH AND GO」。フォックスの曲紹介によれば「世界とのリレーション・シップ」をテーマにした曲で、後にほぼそのままの形でフォックスのファースト・ソロ・アルバム用にレコーディングされたが、この曲のバック・トラックはミッジ・ユーロ加入後のウルトラヴォックスでも「MR.X」に転用されることになる。
 新曲のもう1曲は「これはシンセティックな新曲。ゴールデン・マイルの海岸を歌っている」と紹介(初めての公演地ということで、フォックスはほぼ全曲に対して曲の解説をしている。ちなみに“QUIET MEN”はサイレント・マジョリティをテーマにした曲だそうだ)して歌われる「RADIO BEACH」。カーリーの叙情的なシンセ・メロディーをバックに歌われるコーラスの「We want forever」というフレーズはこの後にバンドがフォックス脱退によって一時瓦解してしまうだけに皮肉だ。
 英国ツアーで歌われていた「WALK AWAY」はカットされている。この曲はフォックスがソロとなっても『THE GARDEN』までレコーディングされなかったことを考えると、この時点ではフォックスにとって違和感のある曲だったのだろう。

 ともあれ、一筋の希望となるはずだったアメリカ・ツアーは、フォックスにとっては失敗だった。彼は直後、バンドに脱退を申し入れ、ギタリストのロビン・サイモンもそれに続く。ウルトラヴォックスはシンガーとギタリストを失った。

 

ウルトラヴォックスがアメリカ・ツアーを行っているちょうどその頃、ミッジ・ユーロはロンドンでラスティ・イーガンとともに、彼らの友人のケヴィン・ブラックロックのシングル「I DON'T WANT OUR LOVING」を制作していた。ユーロはプロデューサーを勤めたこのシングルのプロモーション・ライヴのための即席バンド、ミスフィッツを結成し、ロンドンなど3か所でライヴを行っている。
 彼はその後、ヴィサージのプロジェクトをスタートさせるのだが、同時にウルトラヴォックスとその残されたメンバーたちの動向を気にかけてもいた。
 ユーロはウルトラヴォックスのアルバム『SYSTEMS OF ROMANCE』を気に入っていた。何度かライヴも観ていたが、後にインタヴューで語ったところによると「ウルトラヴォックスの演奏自体は好きだったが、客がパンクスばかりなのが滅入った」そうだ。つまりステージの上下に分かれてフォックスとユーロは同じような感想を持っていたわけで、この後のウルトラヴォックスの方向性のひとつの伏線となる。
 その残されたメンバーのうち、ビリー・カーリーは帰国後、ウルトラヴォックスに影響を受けたと公言するゲイリー・ニューマンのレコーディングに呼ばれていた。
 皮肉なことに、ウルトラヴォックスがアメリカに赴いているうちに、ロンドンでは時ならぬエレクトロニク・ポップ・ブームが勃興していた。アメリカのディーヴォと並んで人気を集めはじめたのがゲイリー・ニューマンだ。
 これは歴史のifの話になるが、79年の前半にウルトラヴォックスがアメリカ・ツアーを行わず、「HE'S LIQUID」や「TOUCH AND GO」「RADIO BEACH」などを含んだニュー・アルバムを発表していれば、あるいはせめて英国ツアーを行っていたら、ウルトラヴォックスの歴史は大きく変わっていただろう。
 カーリーが参加したアルバム『THE PLEASURE PRINCIPLE』は5月に発売されて全英チャートの1位を記録し、カーリーはそのままニューマンのバック・バンド、チューブウェイ・アーミーの一員として留まる。5月25日にはジョン・ピール・セッションに出演して4曲でキーボードを弾いており、これは後にストレンジ・フルーツ・レコードからCDとしてリリースもされている。

 その後、カーリーはユーロからヴィサージのプロジェクトに誘われ、そこで逆にユーロがウルトラヴォックスへ加入することになるのがこの年の夏頃。
 正確な時期は不明なのだが、ユーロを加えた新生ウルトラヴォックスは、ただちにスタジオに入り、彼らは取りつかれたように新曲を続々と作り出すことになる。
 なにしろ新生ウルトラヴォックスには時間がなかった。問題はユーロとカーリーのスケジュールだ。ユーロの加入、そしてバンドの存続が急きょ決定したため、彼ら二人のスケジュールはプロデューサ、セッション・ミュージシャンとして満杯の状態だったし、加えてヴィサージのスケジュールも入っていた。
 さらに、この年の7月、アメリカをツアー中のシン・リジィからゲイリー・ムーアが突如脱退する。シン・リジィのリーダー、フィル・リノットは代わりのギタリストを立ててツアーを続行することを決めるが、その代役として友人のユーロを希望する。
 ユーロは7月、飛行機の中でシン・リジィのレパートリーのテープを予習しながらアメリカに渡り、以降、8月初旬までツアーに同行、さらに9月末の日本5公演にも参加しなければならなくなってしまった。余談になるが、この頃のユーロはウルトラヴォックス、ヴィサージで気分はすっかりニューウェイヴ。ハードでタフなイメージで固めたシン・リジィのステージで、ひとりクラフトワークのTシャツを着てハード・ロックを弾きまくるユーロの姿は明らかに浮いていておかしい。
 そして、カーリーはカーリーでチューブウェイ・アーミーの一員としてゲイリー・ニューマンの全英ツアーに参加しなければならなかったことがある。その全英ツアーは9月20日のグラスゴー、アポロ・シアターを皮切りに10月8日のシェフィールド、シティ・ホール公演まで続くそれなりの規模のものだ。このツアーで「FADE TO GREY」の原型ができあがったことはヴィサージの項で触れたが、それを抜きにしてもウルトラヴォックスやヴィサージのファンにとって、カーリーが参加したこのときのツアーは注目したいところ。というのも、多くの曲でカーリーのシンセ・ソロがフィーチュアされており、そのタッチはすでに新生ウルトラヴォックスのそれとなっている。80年に、このときの演奏がLP1枚分に収められたライヴ・ボックス・セット『LIVING ORNAMENTS』が発売されているが、98年に、ライヴの全長版を収録した2枚組のCD『LIVING ORNAMENTS '79』もリリースされた。

THE PLEASURE PRINCIPLE
(UK LP 1979)

AIRLANE / METAL / COMPLEX / FILMS / M.E. / TRACKS / OBSERVER / CONVERSATION / CARS / ENGINEERS

THE PEEL SESSIONS
(UK CD 1989)

CARS / AIRLANE / FILMS / CONVERSATION /
(Other songs without Currie)

LIVING ORNAMENTS '79(UK CD 1998)

INTRO / AIRLANE / ME!! DISCONNECT FROM YOU / CARS / M.E./ YOU ARE IN MY VISON / SOMETHINGS IN THE HOUSE / RAMDOM / EVERYDAY I DIE / CONVERSATION / WE ARE FRAGILE / BOMBERS / REMEMBER I WAS VAPOUR / ON BROADWAY / THE DREAM POLICE / FILMS / METAL / DOWN IN THE PARK / MY SHADOW IN VAIN / ARE FRIENDS ELECTRIC? / TRACKS

 ともあれ、新生ウルトラヴォックスは結成早々、メンバー二人が欠けがちで活動には多くの支障をきたしたはずだが、それでもバンドには勢いが充ちていた。夏から秋にかけて次々と新曲が完成し、さらにバンドはレコーディング契約前にツアーを行ってそれら新曲群の完成度、そしてバンドの結束を高めることを決定する。
 79年11月14日、リヴァプールのエリックスを皮切りに、ウォーミング・アップ的なライヴを英国で4回行った後、ウルトラヴォックスはどこからもバック・アップのない、完全に自分たちの資金だけのアメリカ・ツアーに出発した。

LIVE IN USA 1979 SOUND ON SOUND
(FAN MADE CD-R BOOT)
ASTRADYNE
NEW EUROPEANS
QUIET MEN
SOUND ON SOUND
ALL STOOD STILL
MR.X
WESTERN PROMIS
SLOW MOTION
HIROSHIMA MON AMOUR
SLEEPWALK
I CAN'T STAY LONG
DISLOCATION
KING'S LEAD HAT
(MILWAUKEE 29, Nov.)

 MCの扇情的なアナウンスに、シーケンサーの冷たいリズムが重なる。息を飲んで見つめているような観客席の一瞬の静寂。が、続いてウォーレン・カンのパワフルなダンス・ビートで会場の空気は一気に熱くなっていく。「ASTRADYNE」のスタートだ。本来は決してライヴ向きではない同曲だが、カンのドラムと、ノイズまみれのカーリーのシンセサイザーで新生ウルトラヴォックスのライヴのオープニングにふさわしい曲となった。さらに、たたみかけるように演奏される「NEW EUROPEANS」イントロのギター・リフで観客はウルトラヴォックスの世界に引き込まれていく。後のレコーディングされるスタジオ・テイクよりも中間部のテンポがずいぶんと早い。荒々しい出来だが、勢いを感じさせる。
「ニュー・ウルトラヴォックスにようこそ! 次はウルトラヴォックスの最新アルバムから“QUIET MAN”、いや、“QUIET MEN”!」
 フォックス時代のテイクよりもダンサンブルにビートが強調された “QUIET MEN”のこんなMCを聴いても、ほぼ簡単な曲紹介以外には観客席とのコミュニケーションを拒絶するかのような旧ウルトラヴォックスのステージとはニュアンスがずいぶんとちがう。
「次は、キーボード・プレイヤーのビリー・カーリーをフィーチュアした新曲“SOUND ON SOUND”」と紹介されて始まるのは、のちに歌詞が変えられて「FACE TO FACE」となる曲だ。ユーロ時代のウルトラヴォックスが制作過程の曲を表に出したのはこの「SOUND ON SOUND」と、「THIN WALL」の原型となった「KEEP TALKING」の2曲しかないので資料的な意味でも貴重な演奏だろう。
 そしてロック・ナンバー「ALL STOOD STILL」。ライヴもここに至って、雰囲気は最高潮となる。観客席からは時折「ROCKWROCK」(と、なぜか“MY SEX”)を求める声も上がるが、それよりも拍手や歓声のほうが確実に大きい。次曲の「MR.X」ですら、反応がいい。これは「TOUCH AND GO」よりもリズム・ボックスの音とカーリーの流麗なヴァイオリンを前面に出し、曲にメリハリがつくとともに、よりダンサンブルなタッチとなったことがあるのだろう。そして同曲はMCで「ミッジ・ユーロに、ドラマーのウォーレン・カンがリード・ヴォーカルで加わる曲」と紹介されるようにこの段階では、ユーロとカンがパートごとにヴォーカルをとりあう構成となっていることも耳を惹く。
 その「MR.X」とメドレーとなって繋がるのが「WESTERN PROMIS」。バックのシーケンサーによるリズムやドラム・パターンなど、すでにアレンジは後のスタジオ版とほぼ同じぐらい完成している。ただし、カーリーのシンセ・ソロがスタジオ版よりも遊びが多く、ワイルドな印象。彼がこのライヴで乗りに乗っていることがよくわかる。
 「SLOW MOTION」から「HIROSHIMA MON AMOUR」へと続いていくメドレーは、フォックス時代にくらべてアレンジにずいぶんと変化がある。「SLOW MOTION」は明るくパワフルなアレンジで、旧来とは印象が大きく変わっている。よくも悪くも強い閉塞感が打ち出されていたこの曲本来のものにくらべて、この時の演奏では逆にすっきりとした解放感が前面に出ており、フォックスにくらべて柔らかく甘いユーロの歌声にマッチしている。「HIROSHIMA MON AMOUR」の場合は、シーケンサーによるリズムが大幅に強化されて、この曲のダンス・ミュージックとしての側面がフィーチュアされているほか、ユーロの歌とカーリーの柔らかなシンセによって叙情的でポップな1曲へと変貌している。また、中盤挿入されるカーリーのヴァイオリンも、後の「VIENNA」を予感させるようなロマンティックなプレイとなった。このヴァイオリン・ソロが終わると客席からは大きな拍手が湧くあたりも、「VIENNA」と同様。
「SLEEPWALK」はイントロのシンセなど、まだアレンジが固まっていない印象を受ける。それでもポップでダンサンブルな曲だけにやはり反応がいい。
 そして本編最終曲は「I CAN'T STAY LONG」。ユーロがこの曲を歌ったのは、この79年から80年の初頭までだが、興味深いのはここでのユーロの唱法。他の曲ではすでに「ウルトラヴォックスでの唱法」になっているのだが、この曲では、曲調(それでもアレンジは“ALL STOOD STILL”的なベース・シンセを強調したエレクトロニク・ポップへと変貌しているのだが)にあわせたかリッチ・キッズ時代までのパンク的な歌い方に戻っている。
 客席の大歓声に迎えられてステージに戻ってきた新生ウルトラヴォックスのアンコール1曲めは、フォックス時代にもライヴ演奏されていない「DISLOCATION」だ。それだけでも貴重だが、なにより驚かされるのは、この曲でカーリー(あるいはユーロか?)が弾くピアノ・フレーズが「 VIENNA」のそれと極めて似通っていること。おそらく、このときの「DISLOCATION」のライヴ・アレンジが発展していったのが、翌年作曲される新生ウルトラヴォックスの代表曲「VIENNNA」なのだろう。
 アンコール最終曲はブライアン・イーノのカヴァー「KING'S LEAD HAT」。この曲もスタジオ・レコーディングがされなかった曲だが、シングルB面で発表された翌80年のライヴ・ヴァージョンとくらべるとワイルドで勢いにあふれる演奏となっている。

 この79年のツアーの音源は、いまのところ11月29日のミルウォーキー、パームスのものしか確認できておらず、上記もそれを元にしたレビューだ。果たしてミルウォーキー以外(ロス・アンジェルス、ウィスキー・ア・ゴー・ゴーでの9回のショウを含め、12月31日までアメリカ・ツアーは行われている)のライヴでも、このような熱演、そして観客からの歓迎を受けたのかどうかは定かではないが、少なくともこの公演を聴くかぎりでは新生ウルトラヴォックスが大きな自信を得たことはまちがいがない。観客にとっては、ほとんどの曲が初めて聴く曲ばかりで、にもかかわらず彼らはそれに熱中した。
 フォックス時代のウルトラヴォックスにくらべ、ユーロ時代の新しいウルトラヴォックスはポップに、そしてダンスやロックの要素を強めた新局面を提示して見せ、ライヴには以前にないダイナミズムがあふれている。たった7か月前の、悪意に満ちた反応が嘘のような観客の歓迎ぶりに、ウルトラヴォックスは意を強めてイギリスに戻ることになる。